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シマ子 1ヶ月。 [猫。]

やっと少し間が空いた。
まぁずっと考えない日はないけど。

そして相変わらずダラダラしている。
別にいいやと思ってしてきたけど
そろそろヤバくないか?と思いつつ、
父親の事もまだ決まらないので
とりあえず、少しでも決まれば…と。

今日が月命日。

そうゆうのを一番思うのは前日。
当日は今日かぁ…と思うだけかも。

ずっとこうゆうのって自分で
区切りをつけなくてはいけないとか
早く日常を取り戻さなくちゃ、とか
私も思いがちなのだけど、
今回はとことん区切りをつけないと
決めて過ごしてきた。

だからこそ後悔は尽きないし、
涙が流れない日はなかった。
今もそりゃ流れてしまうけど…

そして後悔も薄れる事はない。
なんでこうなってしまったの?と
未だに思う。
なんで居ないの?と思う。

だけど、やっぱり勝手に区切りが
ついていくのだなぁと思っている。

まぁ区切りというと正しくないかも
知れないけど。

日常は少し変わったとしても
それがまた今の日常として
定着していくのだなぁと改めて。

当たり前の事なのだけど
そっか、やっぱりそうなるのか、と
思った。

シマ子の事はいつまでも寂しいし
悲しいし辛いけど忘れたくなくて
ずっとこのままのつもりだったけど
そのままのつもりのまま、
時間と共にやっぱり歩いていくの
だなぁと。

何が正解だったのかなぁと
未だに思う。

携帯のアルバムを見ながら、
この時はどうだったのだろう、とか
この時はしんどかったのかなとか
色々考えながら見てる。

7月の写真も、当時は元気そうと
思っていたけど、改めて見ると
しんどそうだな、と思ったり。

何故かこうゆう事がある。
不思議。

少なくとも、6月はやはり余力が
ある様に思うので、最初の時に
ちゃんとやれなかった事が
一番の後悔だと思う。
ずっと思っていたけど。

そしてそれは、私がシマ子の
命を、生きようとする力を
信じ切れなかったからだと
心底思う。

なんで信じられなかったのかな。
慢性腎不全じゃないと思うと
思ってたのになんでいきなり
余命とか信じてしまったのだろう。

6月の数値は本当に酷かったけど
点滴すれば下がるとわかってて
なんでやらなかったのかと思う。
もちろん、余命を真に受けたからに
ほかならないけど。

1日のほとんどを病院のケージで
過ごさせるのは嫌だと思ったから。
あと少しならせめてお家でと思った。

でもあと少しにしたのは私だったの
だなぁと今改めて思う。

6年前、溶血性貧血になった時も
長く生きないのだろうと思ってた。
もちろん色んな病気の疑いがあって
毎日ステロイド飲んでいたし
あまりにも色んな事が起きたから。

だけど、あの時も乗り越えたのにね。
毎日お別れが近いのだと思って
ありがとうね、って言ってて、
それがなんかシマ子が鬱陶しそうな
顔してるなとずっと思っていた。

今回もそうだった。
なのに、今回は違うと思ってしまった。
もしかして?とも思っていたのに。
どうして頑張れるかも知れないと
思えなかったのだろう。

自分の中でこうなる予感が
少しあったのもあるかも知れない。
体調を崩しがちだったからというより
漠然と終わりが来るかもしれないと
意識の凄く遠い所で考えてた。

だから現実になってしまったと
思ったのかも知れない。

でも、それを本当にしてしまったのは
私なんだと思う。
それがやはり一番悔しい。

そして、その判断が悪かったとして
6月末から7月の頭にかけて、
少し動いたりして、窓に乗ったり、
階段を下りたりし始めた時にも
挽回のタイミングだったと思う。

あと、なんでもっと凄いね、とか
このまま元気になろうね!とか
言えなかったんだろうという後悔が
ずっとある。

なんで徘徊なのかなとか
思ってしまったのだろう。
友達にも言ったら、そうかも知れないと
言われて尚更思ってしまった。

そうだとしても嬉しかったし
もちろんシマ子を褒めもしたけど
全然足りてなかったなぁと思うし
心底じゃなかったと思う。

どこかでこれからまた悪くなるの
ではないかとか余計な事を
考えていた気がする。

あの時、凄いんですよ、跳んだり
下りたりするんですって
先生に言って積極的な事を
もっとすればよかったのに。

それが最後のチャンスだった
気がする。

月末、高ナトリウムになってからは
恐らくどんどん取り返せなくなって
いった気がするから。

それでも1日だけでも預けて点滴
してたらもう少しは楽に過ごさせて
あげられたろうになぁと思う。

病院に行く事は確かにストレスで
かわいそうなのかもし知れない。
うちは特にそう言われるから
判断力が鈍ってる時はそうだな、と
そのまま受け入れてしまう。

実際そうゆう事もある。
だけど、病院でしかできない事が
あると思うから、やはり病院もちゃんと
頼らないとダメだと改めて思う。

最後吐き気が酷かった時も
注射打って貰えば良かったと思う。
病院で浣腸だってして貰ったら
よかったと思う。
少しでもしんどいのが楽になるなら。

やっぱり結局そうゆう事が
事あるごとにできなかったのが
一番の後悔になっている気がする。

色んな事を恐れて腰が引けてたから
何ひとつまともに判断できなかった。
シマ子はあんなに頑張っていたのに。
明日生きる事を諦めてないと
私もちゃんとわかっていたのに。

色んな事を調べると、さいごの時は
あれをすればいい、あれをしない方がいい
色んな意見がある。

だけど、やっぱりそれを決めるのは
その子の家族であって、
その子の事ずっと見てきた人が
決める事が一番なんだと思う。

私は色々な意見を見すぎた気がする。
シマ子を少しでも楽にしてあげたい
その一心ではあったけど、他の子に
良かったことが必ずしもシマ子にも
良かったとは限らないし。

私の後悔は、やはりシマ子の事を
信じ切れなかった事とちゃんと見て
あげてなかった事だと思う。

それができてれば、一緒に過ごす事が
できなくなっていても今ほどは
後悔もなかったのではないかと思う。

見送りに後悔がないなんて私には
あり得ないけど、少しは減らせたの
ではないかと思う。

シマ子の一生懸命に私は応えられなかった。
それが一番申し訳なくて悲しくてたまらない。

ありがとうを山ほど言いたいのに
ごめんねばっかりが出てくる。

多分シマ子は今きっと鬱陶しそうな顔で
もういいのに、うるさいなって思って
聞いてそうに思うけど。

さいごの10日ほどは本当に
しんどかったと思うから
今シマ子はきっとノビノビとして
好き放題過ごしていると思う。

ただ、寂しくないかな、と少し心配。
まだもう少しはお家にいれるだろうし
のんびりしていってね。

シマ子の居ない時間は当たり前に
なりつつあるけれど、シマ子の名前を
呼ばない日はまだないよ。

一緒に居れた時よりも辛くて悲しい
1ヶ月だったけど、それでも少しずつ
知らない間に歩き始めているみたい。

シマ子は特別。

誰よりもたくさんお花を飾って貰って
お線香もたくさんあげて貰ってる。
存在の大きさをみんな感じてるよ。
たった6年間しか居なかったのにね。
本当はもっと居たかったろうにね…

だから。
次もまたうちの子になってね。
何度も言うよ、ちゃんと覚えていてね。
お家はここだから。
変わらないから。
忘れないでよ。

今度こそ長い長い時間一緒に過ごそう。
今度こそ家族みんなで過ごそう。
ね、シマ子。

かわいいかわいいシマ子。
みんなで待っているからね。

本当にうちに来てくれてありがとうね。
あいしてるよ。

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